平成20年7月4日
なんと、今年ももう7月になり、年の後半に入ります。
昨年末より引き続いた入退院、交通事故、子供の結婚、住宅の件も一段落して平穏無事な日々を送っています。
人間というのはやっかいな生き物で、平穏無事な日々になると何となく物足りなく面白くないとツィ思ってしまうことがあります。
こんなとき、思い出すことにしているのが、治療のため絶食、病院食を経て退院し家に帰って初めて口にした夕食を思い出します。
また、点滴の装置を付けたまま病院の窓から眺めた金華山。今は登ることができることを改めて噛みしめることにしています。
私の高校時代以来の大事な友人で40年間、毎年一回飲み会をしてきた彼が去年10月に肺ガン、肝臓ガン、膵臓ガンが見つかり今療養中。
治療といっても1週間に1日抗ガン剤の点滴をするだけのため、入院でなく、通院生活をしています。
彼はズーッと教員で最後は一宮高校の先生でした。タバコを吸わない彼が肺ガンを起こしたのはヒョッとしたらチョークを長年吸ったためかと邪推しています。
大事な友人ゆえ、時々見舞いに行きますが、帰った後いつも深く回復を祈願しています。
また先日は新聞を見ていたら私が学生時代に家庭教師として教えていた子(と言っても今では60歳)の名前が訃報に載っていました。
急遽、斎場に行き祭壇の前で40年ぶりに彼の遺影を見ました。歳月は経過していても昔の面影を思い出し胸に込み上げてくるものがありました。
こんなことを考えると平穏無事がどんなに有り難いことか、感謝、感謝。
先般、久しぶりに会社に勤めておられる現役の方々と会食をする機会がありました。
このようにまだ声がかかることにうれしさを感じますが、
会社の話を聞き、さすが退職後4年半の歳月の重みを改めて感じました。
と言うのも会社組織を構成しているメンバーが私の在職中と全く異なっていることです。
会社も生き物ですからそれを構成するメンバーが替わって当然ですが…。
それでも今年は現役で亡くなった方の話は聞かなかったからよかったと思います。
昨今、大変な物価の上昇が続いています。
一昨年頃のこの定期メールで「遠くない将来インフレが来る」と書いたことがありましたが、
こんな激しいインフレが到来することは予想をしていませんでした。
昭和50年頃に第1次、第2次オイルショックがあり、当時は物価が30%近く上昇したことがありました。
その頃は日本が成長期にさしかかっているときで、労働力の需要も強く物価上昇と一緒に給与も上昇しました。
従って、大変なインフレの割に生活に困るということはなかった訳です。
ところが今回の物価上昇は原油、原材料、食料といった資源に起因するモノがインフレの原因です。
これに対して賃金が昭和50年当時のように上昇するかといえば、期待できない状況です。
それは、景気が右肩上がりで上昇しているわけでなく、労働不足の状況でもありません。
更に昭和50年当時は1ドルが250円程度であり、世界的に見て日本人の労働の価格が相対的に低く上昇の余地がありました。
これに反し今は、世界的平均の賃金に比べ高い位置にあります。
従って賃金の上昇は余り期待できません。
即ち、私たち年金族は収入の増加が望めなくインフレで生活が苦しくなるのは当然ですが
皆さんのように現役の方も似たような状況にあると言えます。
世界の平均レベルから見て日本国民の一人当たり金融資産は高いところにあるから当面は相対的に楽な生活ができますが、
日本の経済は国民所得において貿易に依存する割合が高いのです。
ということは、原油等が高くなって海外に流出する資産は、アメリカ、イギリス等に比べて大きいものがあります。
即ち、国民全体が裕福な状態から貧困の状態に向かうことになります。
万一このような状態が長く続くといずれ日本国民もアフリカまでにはならないが、生きるのに大変な状況がくる可能性があります。
このような状況から脱却する方法は、製造業における優れた先進的技術と立ち後れている金融業界の先進化(優れた技術立国と金融立国であること)と思います。
これから暑い夏を迎えます。体調を壊さないように…。
それでは又…。