平成28年1月22日
次の文書を読んで、「待つ」ことの意味について、あなたの考えを600字以内で述べなさい。
(注:下記文章は、長いので太字部分だけ読むだけでいいと思います。)
週末のタ方。車京都内の広告会社で営業を担当する佐野裕美子さん(23 )=仮名=は、仕事を終えると気の合う友人 2、3 人に携帯メールを送 る 。
「いま何してる?」 送り終わると、すぐに返信確認。
1分、2分、3分 …: 何度も操作を繰り返す。
返事が来たら食事に誘う。5分も返事が、来なければイライラする。
「早く決めたいから、すぐ返信がほしい。自分が待てなくて嫌な思いをしているので、わたしはいつも即レス(即答)です」
仕事の合間も携帯メールのチェックは欠かさない。
佐野さんはそんな自分を見て思う。「(返事が来なくてイライラするのは)自分勝手だし、 ケータイに縛られているようでかっこ悪いかも …」
便利なはずの携帯電話を手にして、イライラと格闘ずるのは彼女ばかりではない。
「私用の携帯メールの返信が気になる。地下鉄に乗れば1駅ごとに『センター問い合わせ』をしてしまう」(20歳の女性会社員)
「返信が来ないで5分過ぎると貧乏ゆすりが始まる」(20歳の大学生)一 。
小中学生は「15分以内に(メールを)返さなければ友達じゃない」などと言う。
情報モラルサイト「エンジェルアイズ」代表 、遠藤美紀さんは 、そんな言葉に違和感を抱く。「返事を待てずに次々と別の子にメールを送り、最初の相手の用件を忘れてしまっていることもある。 落ち着いて時 間を過ごすのは、 格段に下 手になったでしょうね」
シチズンホールディングスが平成15年、首都圏のビジネスパーソン400人を対象に行った 「待ち時間」に関する意識調査。
通勤電車の遅れが「5分」でイライラするという人は10年前の17.6%から56.6%へと急増した。
加速する“せっかち度”が各所で摩擦を引き起こす。
懐石や鍋のコース料理がメインの神奈川県内のある日本料理店。
落ち着いた雰囲気が売りだが、店長(33 )は「お客さまと店側の時間意識のズレ」に頭を悩ませる。前菜に始まりメインの料理を提供するまでの所要時間は「昼10分・夜15 分 」と決めている 。 しかし、時間内にスムーズに料理を出しても苦情が入る。
テーブルセッチングのための一、二 分の時間すら待てない客もいる 。
受付で「少しお待ちください」と言うと、「待てるかー」と声を荒らげ、トイレに入った連れの女性を残したまま帰った中高年男性もいた。
哲学者で大阪大学学長の鷲田清一さんは「「待つ」ということ」(角川選書)の中で、「ものを長い眼で見る余裕がなくなった」と高速化が進む現代社会の病理を憂いた。
「子供の成長を親がじっくり待てない」。東京都内の私立保育圃 。
30年近いキヤリアを持つ保育士がそう感じるようになったのは、 ここ10年ほどのことだ。
三歳児に母親の絵を描かせると、首がなく顔とスカートが直結した絵を描く子も少なくない。
そんなとき、以前なら「みんなと描いて楽しかったね」などと温かく見守る親が大半だったが、最近は様子が違うという。
「横から『そうじゃないでしょ』といって子供をせかす。
せかされた子供は萎縮して弱弱しい線で小さな絵を描いてしまう。
じっと見守っていれば、じきに普通の絵を描けるのに … …」と保育士。
情報が氾離し、他の子供と比較して焦る親が増えたのだという。
国内のインターネット利用者が初めて一千万人を突破した平成9年。
博報堂生活総合研究所は「直訴する社会…… 待てない人々 ・触れたい人々」というリポートで、利便性の向上を指摘する一方、すぐ結論に飛びたがる⇒ 我慢強さの低下 ― といったマイナス面を挙げ「待てない人々」の増加を予見した。
それから10年。コミュニケーションツールはさらに高性能になり、「宅配便の配送状況やバスの待ち時間もネット上で確認できる。漠然と何かを待つことはほとんどなくなった」と、リポート作成に携 わった知識創造工房 ナレッジ・ ファクトリーの林光代表は話す。
目白大学の渋谷 昌三教授(社会心理学)は、そんな「待つ必要がない社会」の到来を複雑な思いで見つめる。
「パソコンや携帯を駆使して即座にほしい情報が引き出せる。だから、物事がさくさく運ばないと耐えられずに、暴力的な言動に出てしまうこともある。
「待たせない」サービスに慣れすぎたがゆえの皮肉な現象かもしれません」
(産経新聞取材班「溶けゆく日本人」による
孫 の 小 論 文
私は待つことの意味は、自分の元へ何らかの変化や返事がくるまでの心を静め、準備をする時間であると考える。
私は現代の社会は変化が自分の元へ表れる喜びよりも、いかに早く変化が自分の元へ表れるかという方に重きをおいている。
その例として課題で出てきた、保育園の親子の話を挙げたい。
母親は子供が絵をかけたという前回からの子供の変化より、さらに上の大きな変化をもとめてしまっている。これは待つという時間を有効に活用できていない。
しかし、私の考えのように待つという時間を 心を静め、変化の準備をする時間として使ったらどうだろうか。子供をどうほめてあげようか、前回よりもどこが上手になっただろうか、きっと待っている時間がワクワクしたものに変わると思う。
また、子供も親の言葉で自信がつき、のびのびと育つことができる。
今は情報が世の中に氾濫している。そのため口をはさみたくなってしまう親心や早く返信が欲しい、と変化を求める気持も理解できる。
しかし,自分の心と対話し、静めることで,人に対して優しい穏やかな対応ができたり、変化が起こった時の喜びは倍増すると思う。
待つという時間は変化を渇望する苦痛の時間でなく心を静め、変化の準備をする時間としてとても大切な時間であると私は思う