平成27年5月1日
「本当にさようなら、僕らのソニー。日本の魂が中国企業になる日」
こんなタイトルの記事が「文芸春秋 5月号 2015」に載っていました。
ソニーが近く中国企業になるということが予見された訳でなく、いずれ将来なるかもしれない?という仮想の話です。
私たちの世代ではまだ、「高品質、高性能で先端技術の優れたソニー」の残像が頭の片隅に残っていますが、
仮に今年生まれた子供が20代になった頃「ソニーとは?」と聞けば「あぁ、中国の会社ですね」となるのではないかという話です。
「切り捨てSONY (講談社版)」という書籍によると17年間に都合6度、目標削減8万人とあります。
新しいCEOになって3年経過しますが、どうも明るい見通しがないようです。
売り上げ利益率などの経営指標重視の体質が一度染みつくとなかなか抜けないようです。
新技術開発などのイノベーションをもたらす研究開発は実に時間と金がかかり、その上成功の確率が低いため
会社経営からすると「当社は新技術・研究重視」と唱えても結果的には説得力のある利益優先にならざるを得ないのでしょう。
技術者の中に創業者スピリットを持っている人が定年退職又は解雇などで去り、今働いているエンジニアは
利益重視の社風に完全に染まっているならば上記の本のタイトルのような事態が起こることが危惧されます。
ソニーの創業者といえば、井深大と盛田昭雄の両氏ですが、盛田氏は創業者ゆえに盛田家に膨大な資産を残して亡くなっています。
ところが盛田氏の長男は手掛ける事業にことごとく失敗し、結局、膨大な遺産である2000億円ともいわれるソニー株の資産を全て失ったということです。
残ったのは家業の醸造業だけとは。
企業も個人も2代3代と繁栄することは極めて難しいものであることを痛感します。
酒鬼薔薇聖斗
という言葉を覚えていられる方もいると思いますが…。
やはり「文芸春秋 5月号 2015」で読んだ記事ですが、酒鬼薔薇事件即ち「神戸連続児童殺傷事件」の判決文が記載されていました。
2名を殺し3名に重軽傷を負わせ、血をすすり飲み、人肉を食したというショックな事件でした。
犯人の少年は当時14歳のため結局、医療少年院に送致されることで決着しました。
あんな惨殺な事件を起こしておいて今その犯人はどうなっていると思いますか?
名前を変え法務省関係者と同居して工場に勤め生活をしているとのことです。
判決文を読んで感じたことは犯人の親は結構真面目に教育をいていたようですが、母親のしつけがかなり厳しかったようです。
彼も幼い時は普通の子のようでしたが、生き物解体の対象はカエルから始まり、猫、そして人間へと徐々に異常な性格に変貌していったようです。
異常性格者になる原因は判決文では読み取れませんでしたが、彼が少しずつ変化していく様子は伺われました。
被害者から見れば彼がまだ生きていること自体、それも一般人と混じって生活している事が許せないでしょうが、
加害者側から見れば心が未成熟な時期に起こした事件ゆえどうか許してくださいというところでしょうか。
私のような一般市民感覚からすると加害者側の気持も分からない訳ではなく、加害者の更生も理解できますが、
一般人と一緒になって生活していることに腑に落ちない気持がします。
燃料電池車といえば、トヨタが世界で初めて実用化に成功した夢の車。
地元にこんな企業があるのがうれしくもあり誇らしくも思います。
ガソリンにたよらず、水素が燃料のため、究極のエコカーといわれます。
ところがホントにそうなのかなぁ?と思っていました。
確かに走行する市街地ではCO2を含む排気ガスがなく、きれいな水が排出されるだけですから、市街地にとっては環境にやさしいといえます。
しかし、水素が天然ガスから作られるのであれば、まず、地下から天然ガスを取り出し、
更にその天然ガスから水素を抽出し、でてきた水素を液化するためなどの各段階にエネルギーがいります。
そんな懸念をもっていたら過日の日経新聞に右図のような「燃料採掘から車の走行までのCO2の排出量」に関するグラフが載っていました。
これによると排出されるCO2の量は燃料電池車は1キロ走るのに79g、ガソリン車は147g、ディーゼル車は132g、ハイブリッドは95gです。
燃料電池車はハイブリッド車の2割弱です。
グラフでは、天然ガスの代わりに太陽光発電の場合が記載してあり、その場合は格段の省エネになることが分かります。
「究極」にしては意外とCO2削減量が少ないではないですか。
この燃料電池の実用化まででも相当の道のりであったが、太陽光発電がエネルギーの主役になるには極めて多くの努力と
時間が必要と思われます。
それでも我が日本人のこと、いずれ物にすることを大いに期待したいところです。
私の周りの人を見ていると私の世代ではITに縁遠い人が大半といっていいようです。
ところでTVのドラマを観ていても「ウエラブル」「シャッフル」といったIT関連の言葉を多く含んだ会話が交わされることがあります。
同世代の人はそこの場面にくると「何を言ってるの?」となるようです。
仮に今後ITに全く関心なく且つ分からない事を調べようとする向学心もなければTVを観ていても理解できない社会になってしまうかも知れません。
本を読むこともなく友達との会話も少なく、TVを観ても分からなくなると恐ろしいボケが待ってます。
退職前の皆さんはこんなことも含め退職後の自分のあるべき姿をイメージし、
そのためには何が必要になるかを把握されておく事も必要かと思います。