平成26年7月3日
「小保方氏、検証に参加」
7月1日付けの日経新聞一面に載っていた表題です。
小保方さんが「他の研究者の立ち合いのもとビデオ撮影の中stap細胞の再現検証に参加する。処分先送り」とあります。
この記事を見て、まず思ったのは「取りあえずあるべき姿になってよかった」ですが、
次に思ったのは「こんな当然の対応をとるのになぜここまで時間がかかったのか?」との疑問です。
私がメール「退職後10年4か月が経過しました(5月10日発信」に
「彼女はどうも記録等に関しては不得意のようですから記録専門の人をつけ一緒に仕事をさせます。
且つ実験結果の評価は常に他の専門家を交え、更にビデオで実験は記録をし、恣意が入らないようにします。
これによりSTAP細胞の存在を確かめ、仮に存在しないとなった場合に改めて捏造問題に決着をつけます。」と記しました。
門外漢の私でさえ4月後半にはこう考えていましたのに、理化学研究所の専門家がこの当然の帰結に至るのに私に遅れること2か月。
そこで「なぜ、こういう経過になったのか」を考えてみました。
ここから先は私の独断と偏見ですが、次のように想像しました。
1月末に彼女がstap細胞の記者発表した時、理化学研究所の同僚は「あんな若いやつが。それも未熟者の女の子が」と思ったのではないのでしょうか。
同僚は当然彼女より年上で且つ社会的地位も高く、あちらこちらで「先生、先生!」と崇められて扱われています。
そんな彼らを追い越して割烹着の女の子が世界的発表をするのを見て思うのは、彼女をたたえるよりも妬みに近い感情でしょう。
そしてわずか半月後に、stap細胞存在の疑義が発生しました。当然、同僚の思いは「そら見たことか。そう簡単に大発見などできるわけがない」。
この気持ちは「細胞存在の真偽を確かめよう」とする科学者としての発想よりも「あの彼女に懲罰を」というプライドを傷つけられた人間としての感情が優先したのではないでしょうか。
そうして連日連夜、社会的地位の高い人は会議を重ね、ようやく6月末になって「彼女に再現検証の参加を、そして処分保留。」の結論に至ったと思います。
このように一般人でもたどりつく考え方が偏狭な感情によって押し流されることは他にもあります。
イラクでは今、過激派組織が内乱を起こしています。
過激派はスンニ派です。今のシーア派を中心とするマリキ政権ではスンニ派を閣外に出し差別をしました。
当然、無視されたスンニ派の人は反旗を翻します。
これが内乱の発端ですが、
もし、仮にマリキ政権がシーア派、スンニ派などを平等に扱っていれば、こんな内乱は避けられたのではないでしょうか。
ところが、シーア派はあのフセイン大統領時代、彼がスンニ派出身でありシーア派を疎外したため、その時の怨念が残っていたのでしょう。
こんな怨念という感情があるため、どうすれば平和に過ごせるか誰でも分かる道筋が見えなくなっているのです。
ところで先のSTAP細胞の話に戻りますが、最近の報道を観ていると細胞は存在しないような気がします。
もし、そうであれば小保方さんの頭の中はどうなっているのだろうか?と思いたくなります。
あそこまで、「ないもの」を「ある」と確信して行動がとれるものだなぁと…。
逆にもし、STAP細胞が再現できたら、どうなるのでしょうか。
保留になっている彼女の懲罰はどう扱うのでしょうか。
そして彼女に全責任があると断言した理化学研究所の幹部はどう弁明するのでしょうか。
野次馬の私としては、stap細胞が再現した方が面白いドラマがみられると思っています。
この話の関連としてその後7月4日の中日新聞で次のような主旨の記事が載っていました。
「小保方さんと同列の理系女(やはり美人)はips細胞を使った加齢性黄斑変性治療のための研究を止める。
理由は、当研究所はstap細胞問題で落ち着いて研究できる環境でない」という内容でした。
これなども私の独断と偏見でひと言付け加えるならば「単なる妬み」としか映りません。
同じ立場の小保方さんが、専用の設備を用意され再現実験に臨むのに、真面目に研究している自分は脚光をあびない。
どうやら科学者というのは男、女を問わず、専門的能力は優れていても社会的常識・判断力は
一般の社会人と比べて幼いような気がします。
今年もはや半分が経過しました。年をとるのはホントに早いですね。