令和3年05月10日
おひとり様への旅立ち(死別)
おひとり様のストレス
人が亡くなる時のその様態は、いろいろあると思いますが、一般的には次のような事でないかと思います。
普通は、最初から緊迫した状態で病状が出るのではなく、お腹が痛いとか、咳が止まらないなどの初期症状から病気が始まり、そして進展していく。
残念ながら治療空しく、死亡に至る事が多いと思います。
この初期症状から死までの間に、病人の苦痛、闘病生活があるのです。その苦痛は世話をする人にも影響します。
歩行困難になる。認知症が進む、徘徊する、激しい咳で夜も寝れない日々が続く、一人で入浴ができなく、介護がいる、シモの世話が毎日何度もしなくてはいけない等々。
この苦痛、苦しみは挙げればきりがありません 。
でも、程度の差こそあれ、人が亡くなる時はこの苦しみを経て、天国へ旅立つのです。
このような様態で亡くなる以外に、考えられるのが、事故死です。
一時間前まで一緒に会話していた相手が今は戻らぬ人になる。
このケースは、先に述べたような闘病生活の苦しみはありません。
3つ目に考えられるのは、今はやりのコロナに罹って重症化し、死に至る場合です。
この場合も事故死と同じように長い闘病生活はありません。
まだ、いろいろあるでしょうが、取り敢えず今挙げた3つのケースを代表的におひとり様になった方へのストレスを考えてみたいと思います。
2つ目と3つ目のケースは、おひとり様へのストレスは大変でしょう。
事故の場合、必ず悔やまれるのは、あそこへ行かねばよかった!!
行かねば、今も元気でここにいてくれる。話しもできる。
コロナの場合は、子供がウイルスに感染し、それを両親に移し、重篤化し死に至った場合、その子供の心中は幾ばかりか。
この二つに共通するのが、死ななくてもよかった事かもしてない事。そして数日前イヤ数時間前までは一緒にいたことです。
この場合、おひとり様にとって、いつでもその面影が付いて来ることです。
食事をすれば、目の前にいた時の姿、
散歩で歩けば、隣に一緒に歩くその姿。
寝れば、隣のベッドにいる寝顔。
いつも一緒に見たテレビの番組が始まると、その面影。
一人、居間にいれば、物音一つ聞こえてこないイヤな静けさ。
どれをとってもおひとり様にとって、生前が思い出され、死んだことがただ悔やまれる。
非常に残されたものにとって寂しく、やるせないものです。
これに対して、1つ目のケースは少し様子が変わるかもしれません。
亡くなる前に、生前中に感じた伴侶がいる事による「負」の部分がある事です。
例えば、毎日徘徊で困っていた、よく怒鳴りつけられた、数時間ごとのおむつの交換、
生きていても、何も楽しい事がない、あるのは苦痛だけ。
このような場合、意識していなくても心の底では、「いっそ、死んでくれたら」と思う気持ちが芽生えてきます。
この「負」の気持が、2つ目、3つ目のような亡くなった人に対する「想い」を打ち消す作用があるのではないでしょうか。
従って、亡くなった後も比較的早くストレスから解放され、日常生活に戻れるのでしょう。
私の場合、手術の前までは元気に一万歩歩いていたのが、術後1週間後には屍になっていました。
心情的には、2つ目、3つ目と同じ想いです。
では、
このつらいストレスを和らげる又は解放されるには、どうすれば いいのでしょうか?